ようやく、悪性胸膜中皮腫の治療を本格スタートできた矢先、
どうやら感染性肺炎を起こしたらしく、
そこからばばちょの体調は急降下。

ただでさえ食欲不振で栄養不足なところに
吐き気が加わり、さらに食べれないっていうか、
食べない状態に。

酸素吸入を初めて良くなりつつあった呼吸状態も
よろしくなく。。。

退院する予定が、伸びに伸びて、
来週火曜日に病院へ出向き、経過の詳細な説明と、
恐らく今後の治療についての話になるかと思います。

まぁ、いずれにせよ、中皮腫治療は一旦、ストップですな😩

 

病気が病気だけに、
すっかり健康状態に、なんて欲張りな希望は持っていませんでしたが、
せめて、残された時間を有意義に少しでも楽に過ごせるようにと、
調べられる限り調べ、ベターと思われる選択を提案してきたつもりだけど、
どうやら、裏目裏目に出ているような。。。

こういう時の無力感って、半端ないダメージです。
患者当人だった時は、自分で選択肢を検討し、自分で決断し、
納得して治療に向き合えばよかった。
選んだ選択肢が○でも、△でも、×でも、
自分で決めたことだから、「どんな結果でも、ドーンときやがれ!」
くらいの気持ちで能天気にいられました。

でも、母のサポートはそういうわけにいかない。
私が思い描くような治療への取り組み姿勢は見えない、
当人だって頑張ろうって気はあるのはわかるけど、
う〜ん、なんていうか、
ちゃんと、自分ごととして受け止めていない感がすごく気になるし、
「やるだけやって、あとは天に任せる!」的な
前向きさというか、納得感が見えないと、
「こっちが、押し付けているのかな?」って気にもなっちゃうし。

結果を重視する素質の持ち主だけど、
「結果が全てではない」ことも知っているつもり、私は。

頑張ったって、その時点でベターな選択を重ねられたとしたって、
抗えない宿命があることは重々承知している。

ただ、抗えないからと、現実を直視しないでいる状態を
側で見ているのは、モヤモヤが拭えない。

結局、自分の人生をどう彩るか、どうデザインするか、どんな爪痕を残すかは、
当人の意識次第で、他者にはどうすることもできない。
それが家族であっても。

辛いって、愚痴ったっていい。
なんで私が?って、毒を吐いたっていい。
目の前にある「今」という時間に真摯に向き合ってくれさえすれば。

大義を掲げてほしいわけでも、
奇跡を起こして欲しいわけでもない、
ただ、今ある「この時」を精一杯、向き合って欲しいだけなんだけど、
なかなか、真意が伝わらないのは、正直、シンドイです。

って、私が愚痴っちゃいましたが、
私にできることは、できることに真摯に向き合うだけだから、
モヤモヤするけど、イライラするけど、ハァ〜ってため息が出ちゃうけど、
やりますよ、淡々と。

トラブルを抱えるなら、「当事者」の方が楽だなぁ〜
と、つくづく思う寒の戻りの雨夜でした^^;