↑よると触ると喧嘩が勃発する二人ですが、つっちー家を構成する一員。一緒にリラックスしている姿は、やっぱり癒されますw

 

乳がんを患ってから、
実は、がん(=ぽんちゃん)に対する見方が180度変わりました。

以前は、ぽんちゃんはにっくき敵、と、思っていました。
だって、命を脅かす存在ですから。

でも、病気になって色々調べていくと、
ぽんちゃんも私の一部、
私を構成する仲間の一人だってことがよくわかりました。

ぽんちゃんは外部から侵入した細菌でも、ウィルスでもありません。
列記とした私を構成する60兆個の細胞の一つ。
ただ、生まれてくるときのちょっとした手違い(=コピーミス)で
正常細胞とは違う顔つきの細胞になってしまっただけ。
別に私の命を脅かそうと生まれた細胞ではないんです。

ぽんちゃんの身になって考えれば、
自分だって60兆個の細胞と一緒に力を合わせ、
仲間として私のからだを構成したかったはず。

でも、手違いのせいで、
生まれて間もなくから排除の対象とされ、
免疫細胞に追われ、逃げたり、身を隠したりの日々。
同時期に誕生した他の正常細胞たちは、
ちゃんと役割を与えられ、
その存在意義を存分に発揮しているのに、自分は・・・。
きっと、そんな孤独を抱えて過ごして来たに違いありません。

で、やっとの思いで逃げ延びた結果が、
モンスターと化した姿。
名実ともに他の細胞の命を脅かす存在になってしまっただなんて、
あまりにも悲しい運命すぎる。。。

ぽんちゃんは、生きたかっただけ。
私たちがそう思うのと同じように、
ただ、命を全うしたかっただけ。

ただ、手違いのせいで、
残念ながら、自分で死ぬこと=全うすることもできない。

そう想像したら、
なんだか居た堪れない気持ちになりました。

私がその命を存続しようと考えたら、
ぽんちゃんには、身を引いてもらなわければなりません。
でも、そんな悲哀を抱えているだろうぽんちゃんを、
にっくき敵のごとく、乱暴に排除に動いたとしたら、
それはぽんちゃんに対してあんまりな行為だな、
そう思いました。

以来、私はぽんちゃんを敵視することを辞めました。

病と闘う闘病ではなく、
ぽんちゃんとの折り合いをつける治療、
と、いう意識に治療への向き合い方も変わりました。

それからというもの、私は右胸に鎮座するぽんちゃんに
幾度となく話しかけました。

ぽんちゃんを毛嫌いしていないこと、
ぽんちゃんを敵だとは思っていないこと、
ぽんちゃんも私の大切な細胞の一つだということ、
十数年に渡って一緒に過ごしてきた日々が
かけがえのないものだということ。
だけど、いよいよお別れの時がきたこと。

そして、ぽんちゃんにたくさんのことを気づかせてもらい、
心から感謝していること。
お別れしても、ぽんちゃんのことを忘れないこと、
私の命を存続するために身を引いてくれるぽんちゃんの想いを胸に
ぽんちゃんが、身を引いてよかった、と思ってもらえるよう
新たにもらった時間を全うすることを誓いました。

それが功を奏したのかはわかりません。
でも、決して楽観できない病気・病状にあって、
今のところ再発もなく時間を重ねられているのは、
亡きぽんちゃんが見守ってくれている、
応援してくれているからなのではないか、
と、感じることが度々あります。

 

これはあくまで私感です。
決してエビデンスがあるものではないので、
参考程度に受け止めて欲しいのですが、
同じ病の仲間でも、予後が良い人は、
「がんに負けるもんか!」とか、
「何がなんでもがんをやっつけてみせる!」
みたいなファイティングモードではなく、
淡々と病を受け止め、
淡々と治療に向き合っている
いい意味でニュートラルというか、
肩の力が抜けている傾向があるように感じています。

ぽんちゃんも自分を構成する60兆個の細胞の一つなのだとしたら、
がん細胞に向けて敵意剥き出して向き合うのは、
自分のからだに対して敵意を向けているのと同じこと。

水だって、感謝の言葉をかけたり、優しい言葉をかけると
その分子が整うといいます。

それが自分の「からだ」だったらどうでしょう。

ぽんちゃんは敵ではありません。
感謝しつつ、しっかりお別れできるのなら、そうすればいいし、
完全なお別れができないのなら、
折り合いをつけて、共に生きる共生の道を探ればいい。

ただ、一方的に悪者にしたり、宿敵にしないであげてほしい。
だって、ぽんちゃんも間違いなく、
自分のからだの一部なのだから。