昨年、12月に老齢の母が不調を覚えたことで始まった
通称「ばばちょプロジェクト」。

肺腺癌ステージ4の診断から、
まさかの悪性胸膜中皮腫へと確定診断が変わり、
怒涛のような2022年のスタート。

2月に入り、ようやく本格的治療のスタートを切れるかと思いきや、
思いの外、胸水が貯留せず、胸膜癒着術は見送ることになったところまでは良かったのですが。。。

実は、退院したその日の夕方、
東京に戻ろうと改札を通ろうとしたタイミングで病院から電話が!

な、な、なんと、ばばちょが入院していた病棟で、
よりによってオミクロン感染者が出た!
と、いうのです。

念の為、PCR検査を受けた方がいいのでは?
と、いうゆる〜い病院からの申し出に、
いやいや、すぐにPCR検査受けなきゃダメでしょ、
ということで、タクシーで実家にトンボ帰りする羽目に。

ところが、そこからがまた大変でした。

というのも、濃厚接触者と認定されているばばちょは、
公共交通機関を使えないんです。

病院までは実家から車で15分程度の距離なので、
それでなくても呼吸が苦しいばばちょが徒歩で行けるわけもない。

じゃあ、自家用車でってなると、
私は免許を持っていないので、無理。

病院からは、弟が帰宅したらその車で来てくれというものの、
仕事先が遠いので、すぐに戻ることはできない。

その場合、どうなるの?って聞くと、
じゃあ、明日にでも、と呑気なお返事。

いや、いや、いや。
悪性胸膜中皮腫という爆弾を抱えているばばちょに対して、
何、悠長なこと言ってるのよ💢

実は、退院2日前から急に咳が出ていて、
その旨、看護士にも担当医にも伝えてあったわけで。
それを、ちゃんと調べもせずに、
咳止めの薬を処方されておしまい。
完全に中皮腫のせいと先入観で判断しているところも???と、
疑問を覚えるところ。

何より、入院前のPCR検査では陰性を確認していたわけですし、
症状が出始めた日からたどっても、
入院後に感染している可能性は、頗る高いわけで。

もちろん、病院が必死に感染対策をしていることは理解しています。
だから、入院中の面会もできなかったわけですし。

少なからず、病院側の落ち度がある中で
「自家用車で」の一点張り。
「もう夕方なので、明日に来ていただくのでも」と、悠長な発言に
思わず「カッチ〜ん」って、キレる音が(爆)

スイッチが入った私は、
そこから関係各所への怒涛の交渉タイムがスタートしました。

まずは、PCR検査を行うために、
どうにか病院に行く手立てを探すこと。

病院の先生と手分けして見つけたのが「ケアタクシー」なる存在。
まぁ、普通のタクシーに比べと割高なのですが、
それを使えば、今日中に病院に向かうことはできることに。

お次は、スムーズな検査体制を組んでもらうこと。
病院と話し合い、ケアタクシーで家を出たタイミングで電話し、
到着後、すぐに検査を実施。
そのまま、ケアタクシーで自宅に戻り、検査結果を待つ、
という段取りを組みました。

ちなみに、病院に着くと38度台の発熱が判明。
確定診断は、検査結果を待ってからですが、
十中八九、オミクロン感染だと思います、と。

心の中で思いましたよ。
ほ〜ら、今日中に検査できて良かったでしょ、って。
悠長なこと言ってたら、
治療が後手後手になっちゃうところだったじゃない、って。

 

で、実家に戻り、1時間ほどして程なく、
陽性でした
の連絡が入りました。

 

いざ、陽性となると、ここからは保健所との交渉もスタートします。

ばばちょのスマホで保健所の担当者のヒアリングを受け、
今後の段取りの確認。
中皮腫という爆弾を抱えていること、
食欲がなく、療養中、配布されるだろうお弁当だと食せない可能性大なので、どう対応すればいいかなどを話し合いました。

保健所の担当者と話している最中にも
私のスマホには病院から連絡が入るので、
二つのスマホを操りながら、
中皮腫への対応と、オミクロン治療への対応と
怒涛の交渉を1時間ほど行いました。

さらに、問題となるのが、弟。
入院していたこともあり、
ばばちょの陽性判明時点では一切、接触していないものの、
このまま帰宅し、一晩、ばばちょと過ごしてしまうと
同居家族=濃厚接触者になってしまうとのこと。

そうなると、出勤できなくなってしまうので、一大事。
ってことで、弟に連絡し、帰宅はせず、
今晩はビジネスホテルに泊まるように指示。

翌朝、8時40分には、保健所が手配した車でばばちょは、
臨時療養施設に向かうので、
翌日から帰宅するように伝えました。

そこからは、ばばちょの療養施設で過ごすための着替えやら、薬やら、入院グッズをスーツケースに詰め、
弟の着替えなど、翌日、ホテルから仕事に行くのに最低限必要なものを準備。

次に保健所の24時間対応連絡先と救急の番号を
ばばちょのスマホに登録。
側にいられないので、
何かあったらボタンを押すだけにして、
少しでも体調が悪くなったら、
迷わずボタンを押すように念を押しました。

翌朝、保健所から手配された車が来たら、
そのまま出ればいいように玄関先に荷物を詰め込んだスーツケースを置き、実家を出たのは、
夜の9時を過ぎていました。

家の外で弟と落ち合い、荷物を渡しつつ、駅まで送ってもらいました。

退院時間が午前10時だったので、
東京を朝の6時すぎに出て、帰宅したのは日付が変わる寸前でした^^;

 

ちなみに、私は一度もマスクを外していなかった(つまり、朝、家を出る前に軽く食べた朝食以来、帰宅まで飲まず食わず状態^^;)ことと、
ばばちょが休んでいる部屋と離れた場所で作業していたことで
濃厚接触者にはなりませんでした。

が、一応、体調管理をするようにと伝えられていたので、
定期的に体温チェックし、自前のパルスオキシメーターで酸素濃度をチェックし、無事、無症状の濃厚接触者の待機期間7日間を過ぎました。
その間、熱はもちろん、咳も、倦怠感もなく、
至って健康でしたので、
どうららオミクロンちゃんをやり過ごせたようです。
マスク、恐るべし!!

 

でもって、翌朝、無事、臨時療養施設に移動したのですが。。。
続きは、次回ご紹介します。